迎合(げいごう)政治で、膨張する政府債務への危機感と国民の責任

2025年5月26日

 財務省が2024年度末の時点で政府の借金が1323兆7155億円に達したと発表しました。

この数字は、にわかには実感しづらいですが、9年連続で過去最大を更新したこと、そしてこれは単なる経済データではなく、我々一人一人の将来に直結する重大な問題であることを自覚しなければなりません。税収で賄いきれない支出を借金で補い続ける構図は、持続可能性という視点から見て極めて深刻です。

1. 人気取り政策と迎合政治の台頭

 このような状況の中で、政党による人気取り政策、いわゆる「迎合政治」への懸念が高まっています。国民民主党の「年収103万円の壁」減税や、日本維新の会の「教育無償化」といった政策は、確かに一部の国民からは歓迎されるものかもしれません。だが、その裏側にある財源の問題に対して真剣な議論がなされていないまま、少数与党がそれらの政策を「予算成立」のために組み込んでしまうという現状には、民主主義の健全性そのものが問われる事態です。

2. 政党の責任と政策提案の在り方

 本来、野党が政策を提言するのであれば、実現のための財源確保についても同時に責任を持って提示すべきです。「財源は政府が考えろ」という姿勢は、国家財政の逼迫する今、無責任と言わざるを得ない。例えば立憲民主党が、要求と同時に財源案を提示するスタンスをとっていることは、批判もあるが、少なくとも政党としての責任を果たそうとする姿勢が見えます。

また、予算審議において少数与党である自公政権が、野党の要求に十分な検証も議論も経ずに迎合している点も問題であると思います。これは政権維持のために「数合わせ」に奔走しているにすぎず、結果として国家全体の財政運営という視点が欠如しています。

3. 国民の姿勢と責任

 では、国民はこの問題にどう向き合うべきだろうか。私たち有権者一人一人が、政策の「甘い部分」だけに反応し、耳障りの良い公約ばかりに飛びつく姿勢を改める必要があります。国民が「支持されやすい政策」ばかりを求めるからこそ、政治家たちは迎合し、結果的に日本の財政は蝕(むしば)まれてきました。政治家に真の改革を求めるのであれば、私たち国民自身が、耳に痛い議論にもしっかり向き合い、必要であれば「増税」も選択肢として受け入れる覚悟が求められます。

4. 政策の是非と将来世代への視点

 もちろん、すべての減税や支出が悪いわけではありません。「教育無償化」などは将来の成長投資として、十分に意義ある政策だと思います。しかしそれを行うのであれば、他の支出の見直しや増税などを含めた総合的な議論がなければ、単なるバラマキ政策に成り下がってしまいます。政治家は人気取りではなく、将来の国家像を見据えた「国家経営者」としての責任を持ってほしいと、つくづく感じます。

5. まとめ

 迎合政治がまかり通る背景には、国民の政治への無関心や知識不足も大きく影響しているのは確かです。私たち国民が、報道に流されず、財政や制度の仕組みを学び、自ら考える力を持たない限り、政治の質が向上することはないのでしょう。たとえ政治家が真っ当な政策を提案しても、それを正当に評価できる国民が少なければ、選挙では勝てないのかもしれません。そして政治家はまた迎合せざるを得なくなるという悪循環が続いていくように感じます。

 迎合政治への危機感は、単に政治家だけの問題ではなく、国民一人一人が負うべき責任でもあります。今の政治は、私たちの鏡であるはず。だからこそ、変えるべきは政治だけではなく、私たち自身の姿勢でもあります。健全な民主主義とは、政治家と国民が共に国家の未来を考え、負担も責任も分かち合う関係の中でしか成り立たないと思います。

私は一人の国民として 今、将来世代に恥じない選択を迫られている時期と感じました。
膨張する国の借金と、それに無責任に迎合する政治の在り方をこのまま看過してはならないと思います。

<語意>

迎合主義とは、
 一般的に、大衆の感情や意見に調子を合わせ、支持を得ようとする政治姿勢や思想を指します。