迎合政治への危機感と持続可能な未来への責任を問う「第二弾」

「迎合政治への危機感」は、今の日本が直面する深刻な課題、すなわち、際限なく膨張する政府債務と、その根本原因の一つであるポピュリズム(迎合政治)の蔓延(まんえん)に鋭い警鐘を鳴らしています。
一人の国民として、この問題に共感するとともに、日本の未来に対する強い危機感を覚えずにはいられません。ここでは、迎合政治がもたらす構造的な問題、政治家と国民双方に求められる責任について、考えてみたいと思います。
1. 終わらない「痛み」の先送りと財政規律の崩壊
政府の借金は2024年度末に1323兆円を超え、9年連続で過去最高を更新するという異常事態が常態化しています。これは、物価高対策といった喫緊の課題への対応が必要であったとはいえ、歳出の膨張を安定的な税収で賄(まかな)うという財政の基本原則が崩壊していることの何よりの証拠だと思います。国の借金は、いつか誰かが返済しなければならない「未来からの前借り」に他なりません。この巨額の債務は、将来世代の肩に重くのしかかり、彼らが享受できるはずの社会保障や公共サービスの選択肢を著しく狭めることになります。
さらに深刻なのは、この危機的状況に対する政治の鈍感さです。与党が財政規律への意識を欠いていることは言うまでもありませんが、本来それを厳しくチェックし、建設的な対案を示すべき野党の一部までもが、財源の裏付けに乏しい「耳触りの良い」政策を掲げ、政府(少数与党)にその実現を迫るという構図は、まさに迎合政治の典型例と言えるでしょう。
国民民主党が掲げる「年収103万円の壁」減税や、日本維新の会が求める「教育無償化」は、個別の政策として見れば、特定の層から歓迎されるであろうことは想像に難くありません。しかし、その実現にそれぞれ最大約8兆円、約6千億円もの新たな財源が必要となるという現実から目を背け、「財源は政府が考えろ」と責任を転嫁する姿勢は、到底見過ごすことができるものではありません。これは、国家財政という大きな船の舵取りに参加しながら、自らは心地よい客室に留まり、荒波への対処はすべて船長任せにするような無責任な態度です。
2. 迎合政治が蝕(むしば)む民主主義の根幹
迎合政治の最大の問題は、それが国家の中長期的なビジョンや戦略的判断を麻痺させ、民主主義の根幹である「熟慮」と「責任」のプロセスを蝕(むしば)む点にあります。
政治家が、選挙での勝利や支持率の維持を最優先するあまり、国民に「あめ玉」を配ることばかりに腐心するようになれば、国家にとって本当に必要な、しかも痛みを伴う改革は永遠に先送りされます。少子高齢化が急速に進む中、持続可能な社会保障制度の再構築は待ったなしの課題です。また、グローバルな競争に打ち勝つための産業構造の転換や、将来の成長を支える人への投資も不可欠です。これらの改革は、いずれも短期的な負担増や受益の見直しを伴う可能性があり、国民からの反発を招きやすいテーマです。
しかし、真の政治家の役割とは、人気取りに終始することではなく、たとえ国民の耳に痛いことであっても、国家の将来のために必要であると信じる政策を掲げ、その必要性をデータと論理、そして情熱をもって国民に説き、理解と協力を求めていくことにあるはずです。批判を恐れず、国民を説得していく勇気こそが、現代の政治家に最も欠けている資質なのかもしれません。
野党の役割もまた、単なる「反対のための反対」や、実現可能性を度外視した要求の提示であってはなりません。立憲民主党が財源の裏付けを持って政策要求を行う姿勢を見せているように、建設的な野党とは、与党の政策を厳しく検証し、問題点を指摘すると同時に、財源論を含めた具体的な対案を提示することで、国民に政権選択の明確な基準を示す存在であるべきです。
財源論なき政策論争は、単なる絵空事に過ぎず、ほとんどの国民の政治不信を助長するだけです。
3. 我々国民に突きつけられた「受益と負担」の覚悟
しかし、この迎合政治という病理の責任を、政治家だけに帰すのは公平ではありません。なぜなら、迎合的な政策に安易に喝采を送り、短期的な利益に飛びつく国民の存在が、そうした政治家を生み出す土壌となっているからです。我々国民一人ひとりもまた、この問題の当事者として、自らの姿勢を厳しく問い直す必要があります。
私たちは、「受益」と「負担」が表裏一体であることを深く認識しなければなりません。
手厚い社会保障、質の高い教育、充実したインフラ、これらすべては無料ではありません。
誰かの負担によって成り立っています。
目先の減税や給付金に喜ぶ前に、その財源はどこから捻出されるのか、その結果として将来の社会保障が削減されたり、次世代への負債が増えたりしないか、という長期的な視点を持つことが不可欠です。
これからは、政治家が発する言葉の裏にある意図を読み解き、政策の全体像を冷静に評価する政治リテラシーを養う努力も求められる時代かもしれません。「教育無償化」という甘美な響きに酔う前に、その財源を確保するために、他のどの予算が削られるのか、あるいはどのような増税が必要になるのかまでを考え、総合的に判断する知性が必要になってきます。
政治は、政治家と国民との共同作業です。
私たちが政治家に対して、短期的な利益の分配ではなく、持続可能な未来への明確なビジョンと、その実現に向けた具体的な道筋を示すことを強く求め続けるならば、政治の流れは必ず変わるはずです。
耳に痛い真実を語る勇気ある政治家を支持し、育てていくことこそ、私たち国民に課せられた責任だと感じます。
4.まとめ
政府債務の膨張と迎合政治の蔓延(まんえん)は、日本という国家の存続そのものを揺るがしかねない深刻な危機です。この危機を乗り越えるためには、与野党の垣根を越えた、政治家たちの「国家への責任感」と「国民を説得する勇気」が不可欠です。財源論から逃げず、痛みを伴う改革であっても、その必要性を国民に真摯(しんし)に語りかける。そうした本来の政治家の姿を取り戻さなければなりません。
そして同時に、私たち国民もまた、目先の利益に惑わされることなく、長期的な視点から「受益と負担」の関係を冷静に受け止め、国の未来に対する当事者意識を持つことが求められます。政治家と国民が、互いに責任を押し付け合うのではなく、建設的な対話を通じて、持続可能な社会を築くという共通の目標に向かって協力していく。迎合政治という悪循環を断ち切り、次世代に希望ある日本を託すための道は、そこにしかないと考えます。
今こそ、私たち一人ひとりが、未来への責任を果たすために覚悟が必要ではないでしょうか。
<語意>
迎合主義とは、
一般的に、大衆の感情や意見に調子を合わせ、支持を得ようとする政治姿勢や思想を指します。
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