「ばらまき教育」政策の問題点と本質

2024年度予算案に盛り込まれた高校授業料無償化の拡大…..すなわち、所得制限を撤廃し、すべての世帯に対して年額11万8,800円を支給するという政策は、表面上は「すべての子どもに等しく教育の機会を」とする理想にかなったように見える。しかし、その実態は「ばらまき」と言われても仕方のない内容であり、根本的な教育制度の見直しとは程遠い。
一時的に耳触りの良い政策を打ち出すことで政党の支持率を上げ、選挙を有利に運ぼうとする目論見が透けて見える。これは、日本維新の会による選挙目当ての人気取り政策に他ならない。
まず、現行の就学援助制度を廃止し、所得制限なしで支給するという設計には大きな問題がある。本来、福祉政策というものは「必要な人に必要な支援を届ける」ことを基本原則とすべきである。高所得世帯にまで等しく支給するというのは、単なる税金の無駄遣いであり、むしろ本当に支援を必要としている家庭に行き渡るべき予算を分散させてしまうことになる。高所得者層にまで補助金を支給する意義は極めて薄く、その分を低所得層や地域の教育環境整備に振り分けるべきである。
さらに問題なのは、2026年度以降、私立高校の授業料支給上限を引き上げる方針が示された点である。これにより、私立高校の教育環境がさらに充実する一方で、公立高校は取り残される構図が加速する。教育の質や施設の格差が拡大し、生徒たちはより魅力的な私立校を選ぶようになる。これによって公立高校は定員割れを起こし、運営が困難になる学校も増えてくるであろう。
私立校の競争は激化し、学校はより多くの生徒を獲得するために教員の質の向上や施設の整備、教育機器の高度化を目指すことになる。その結果、私立校はますます「選ばれる学校」となり、公立校は「残された学校」として扱われる可能性がある。これでは、教育格差を縮小するどころか、むしろ固定化・拡大させてしまう。
加えて、このような大規模な予算支出について、財源の議論がほとんどなされていないことも深刻である。政策の実行には必ず予算が伴う。どこからその財源を捻出するのか、社会保障やインフラ、防衛など他の重要分野とのバランスはどう取るのか。これらの議論を抜きにして、「教育無償化」の耳障りの良いスローガンだけを掲げるのは、無責任と言わざるを得ない。
そもそも、日本の教育を本当に改革するのであれば、「授業料の無償化」という手法だけでなく、教育そのものの質、学びの機会、学力の底上げにどうアプローチするかを議論すべきである。たとえば、地域間格差の是正、教員の待遇改善、ICT環境の整備、いじめや不登校といった教育現場の根本的な問題に対して持続的な予算と制度改革が求められている。現場で日々格闘している教育者たちの声を吸い上げることもなく、選挙のために「わかりやすい施策」を打ち出すやり方は、教育の本質から大きく逸れている。
また、この政策の背景には、過半数を割った自民党が、日本維新の会の協力を得てなんとか予算を成立させようとした政治的駆け引きがある。政策としての合理性よりも、政局としての利害が優先された結果だ。これは、自民党にとっても、国家の未来より政権維持を優先する姿勢が明確に表れた事例である。
◯まとめ
私は一人の国民として、そして未来の日本を担う子どもたちの教育を真剣に考える者として、こうした「ばらまき」による教育政策には断固反対したい。教育は国家の根幹であり、短期的な人気取りではなく、長期的視野に立った持続可能な制度設計が必要だ。教育を選挙の道具にすることなく、誰一人取り残されない真の教育改革を実現するために、政治家はもっと責任を持って政策を訴えるべきである。
これらの政策は、教育の質の向上にはつながらず、財源の議論も不十分。教育の未来を本当に考えるなら、選挙目当ての政策ではなく、持続可能で公平な制度改革こそが必要である。
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