三菱国産ジェット機の撤退で見えてきた、日本の技術力とは?

2023年8月27日

ついにMRJ計画の失敗
愛知を拠点にした三菱航空機は、国産初のジェット旅客機であるMRJを開発していました。
このプロジェクトは、日本の航空産業の中核として期待されており、量産化が期待されていました。しかし、2023年2月に計画の中止が発表されました。

開発の経緯と問題点

MRJ計画は当初から懸念されていた問題点が存在していました。
三菱航空機の元社長である川井氏は、その背景を以下のように語っています。

経験の不足:
 MRJ計画において、飛行機を造ることと、安全性を証明していくことは違うことなのが分かっていなかったんだと思います。
型式証明の取得経験がない場合は、経験豊富な人を連れてくる以外に方法がないと感じました。
そのため、ボーイングの技術者たちを経験者として招き入れました。ボーイングのOBたちは、FAA(アメリカ連邦航空局)との対等なコミュニケーションやそれ以上の実力を持っており、その経験を活かしたかったと述べています。

溝の存在:
 開発現場において、ボーイングのOBたちと三菱航空機の技術者たちの間には、溝のようなものが存在していました。
ボーイングのOBたちの、そのすごい技術力と経験豊富な証明力の素晴らしさを理解していれば、もっと良いコミュニケーションが取れたかもしれないと述べています。
そして、当時の技術者たちには“うぬぼれ”があったのではないかとも述べています。

技術者の「うぬぼれ」:
 当時の技術者たちには、飛行機の設計・製造においては優れた能力を持っていたが、安全性の証明や国際基準への適合性を証明する過程において、知らないことは知っている人に聞くという謙虚さが欠けていたと指摘しています。
技術者たちは飛行機を造ることと安全性を証明することの違いに気付いていなかったと述べています。

日本の企業文化と課題

川井元社長は、○○重工の企業文化に起因する課題についても言及しています。

世間知らずの技術者たち:
 ○○重工の技術者たちは、世界の航空・防衛産業の現状や他国の同業者との交流に疎い傾向がありました。彼らは自社の能力を過信し、他国の製品や技術に対する理解が不足していました。

世界の先端を知らずに、また知る努力もせずに、自分たちはひたすら一流だと思い込んでいるわけですよね。そう、変に高いプライドだけは持ち合わせているので、それが帰って厄介なんですよね。

ビジネス感覚と当事者意識の欠如:
 MRJや戦車の開発においても、製品の市場展開や営業努力に欠ける部分がありました。外部との連携や販売努力が不足したため、計画の遅延や信頼性の向上にも影響を及ぼしました。

川井元社長はこのようにも述べています。
「完成機はもうないと私は思っています。しばらくは…。これは国家的な損失だと思います。世界における日本の地位がどんと下がりましたから。」

いやあ、なにか他人事ですよね、最後の言葉なんか…??
この他人事というのが、○○重工の当事者としての意識の欠如という「企業文化」に根ざしているのでしょうね。

防衛費と国防産業への影響:
 防衛費を増やすことは国防や防衛産業の発展に資する可能性がありますが、十分なビジョンと効果的な運用が必要です。
効果的なマネジメントが行われなければ、無駄な税金の浪費となる可能性が十分にあると指摘されています。

「MRJにしろ、戦闘機をつくれる我が○○重工の実力を持ってすれば」と、”イキマイ”て失敗してしまいました。
自分たちに見識も、能力もないのにあると勘違いしていたわけですね。
自社でやって自滅するならばまだいいのですが、多額の税金(累計1兆円の開発費)を食いつぶして、協力会社にも多くの迷惑を掛けたようです。

まとめ

日本の航空産業は、長らくボーイングやエアバスなどの欧米メーカーに依存してきました。
MRJの開発は、日本の航空産業が独自の技術を開発し、世界に通用する航空機メーカーを目指す大きな試みでした。
しかし、日本の航空産業は、欧米メーカーと比べて技術力やノウハウが不足しており、MRJの開発を成功させるには、さらなる努力が必要でした。

MRJ計画の失敗は、日本の航空産業にとって大きな痛手となりました。
しかし、この失敗を教訓に、日本の航空産業が再び飛躍するための努力が求められています。
○○重工の信用も地に落ちました。これからはプライドなど捨てて、複数の企業でジョイントを組み、一つのプロジェクトを担うことも必要ではないかと思います。

当ブログより、
この記事は、軍事ジャーナリスト、清谷信一氏のブログ記事を一部参考にさせていただきました。

学びMRJ

Posted by Ka Shiba