月山富田城跡(安来市広瀬町)

2023年7月24日

月山富田城跡は、島根県安来市広瀬町に所在する山城です。

戦国時代に山陰の覇者尼子氏が本拠を構え、170年間の尼子氏六代の盛衰の舞台となりました。

城郭跡は国の史跡で、「日本100名城」に指定されています。

富田城は、標高190mの月山に築かれた山城で月山富田城とも呼ばれています。
富田城は月山を中心に1km四方に及ぶ城域を持つ中国地方でも指折りの規模を誇った城でした。
戦国時代に中国地方に勢力を誇った戦国大名の尼子氏の居城で、西には富田川(今の飯梨川)、東には険しい山々が連なる難攻不落の城として有名です。
また、七難八苦の悲運の武将、山中鹿之介を輩出した地としても知られています。
月山富田城は山頂部分に「本丸」などが、山裾部分に「山中御殿」「花ノ壇」「千畳平」などの名前の付いた曲輪(くるわ)がたくさん造られていました。

月山富田城は、1396年に尼子経久によって築城されました。
月山富田城が難攻不落の城と言われた理由は、いくつかあります。
まず、月山は標高190mと高く、周囲は険しい山々に囲まれているため、攻め込むのが困難でした。
また、城の周囲には富田川(今の飯梨川)が流れていて、水堀としても機能していました。
さらに、城内には多くの曲輪が築かれており、守備に適した地形でした。

月山富田城は、尼子氏の居城として170年の間、度重なる戦乱に耐え抜いてきました。
しかし、尼子氏は1年半もの籠城の末、永禄6年(1566年)に毛利元就との戦いに敗れ、月山富田城は毛利氏の配下になってしまいました。
現在の月山富田城跡は、残念ながら尼子氏の時代の姿ではなく、毛利氏の配下になってからの城跡です。
その後、関ヶ原の戦いの後、月山富田城は堀尾氏が慶長13年(1608年)に松江城に移った後、松江城を支える城(支城)として使われました。

月山富田城は、戦国時代の山陰地方において、非常に重要な役割を果たした城でした。
難攻不落の城として知られた月山富田城は、尼子氏の勢力拡大に大きく貢献し、また、関ヶ原の戦い後も、松江城を支える城として慶長20年(1615年)ころまで使われていました。
堀尾氏が松江に移るまでは山陰地方の軍事・政治の一大拠点だったのです。
月山富田城は、現在国の史跡に指定されており、その遺構は、戦国時代の山陰地方の歴史を物語っています。

月山の麓にある安来市立歴史史料館では、月山富田城や城下町の歴史、発掘調査で出土した遺物などが展示されています。

私は、月山富田城は、戦国時代の山城の歴史や文化を学ぶことができる貴重な場所だと思います。

月山富田城跡を訪れて、広がる眺望と尼子氏の栄華と没落の歴史を体感してみてはいかがでしょうか。

地域活性化

Posted by Ka Shiba